Blog エグゼクティブ・コーチング
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経営者が「次のステージ」に戸惑うときー成長への期待、そして、立ち止まる自分
「このままで良いのだろうか」
経営者や経営幹部として経験を積み、一定の成果を上げてきた。仕事にも手応えがある。それでも、ふと自分自身のこれからについて考えることはないだろうか。
もっと成長したい。新しいことに挑戦したい。一方で、今の自分を大切にしたい。周囲から次の役割を期待されながら、本当にそこへ進みたいのか迷うこともある。
こうした思いを抱える経営者や経営幹部の方々に、ぜひ考えて頂きたいことがある。
私たちが疑うことなく受け入れてきた「成長」「前進」「成功」という物差しである。
もし、その物差しを一度脇に置いてみたら、自分自身や「次のステージ」は、どのように見えるだろうか。
本ブログでは、経営幹部たちとの関わりや筆者自身の経験を手掛かりに、経営者の内面に生まれる「揺らぎ」と、その奥にある当たり前を問い直してみたい。
このブログの章立て
- 導入 「このままでよいのか」という、ふとした違和感
- 第1章「次のステージ」という言葉の裏側
- 第2章 変わりたい。でも、何を変え、何を残すのか
- 第3章 立ち止まるとき、人は何を感じているのか
- 第4章 揺らぎは、自分に何を語りかけているのか
- 終章 立ち止まる自分と、どう向き合うか
筆者プロフィール
砂村 義雄
ステッププラス・コーチング&コンサルティング代表、エグゼクティブコーチ。
国内外企業での30年の勤務経験を活かし、経営者・管理職の課題解決・目標達成にコーチングで伴走。中小企業診断士・MBA・国際コーチング連盟(ICF)プロフェッショナルコーチ(PCC)。
導入:「このままで良いのか」という、ふとした違和感
経営者には、常に前へ進むことが期待される。
業績を伸ばす。組織を強くする。新しい事業を生み出す。次世代のリーダーを育てる。会社の未来に責任を持つ立場であれば、それらは決して他人事ではない。
自分自身についても同様だ。
もっと成長しなければならない。新しい役割に挑戦しなければならない。これまでの成功に安住していてはいけない。
こうした考え方は、日々の行動を後押しする力になる。
しかし、あるとき、ふと立ち止まる。
「自分は、このままではダメなのか」
仕事には手応えがある。周囲からも一定の評価を得ている。これまで積み重ねてきたものにも、それなりの満足感がある。
それなのに、どこかで別の自分を想像している。
この先も、今と同じように仕事を続けていくのだろうか。まだ知らない世界があるのではないか。
反対に、新しい役割を期待されながら、「本当にそこへ進みたいのだろうか」と感じることもある。
こうした気持ちは、必ずしも現在の仕事や立場への不満から生まれるものではない。何に迷っているのかさえ、はっきりしないこともある。
経営者が「次のステージ」を意識するとき、そこには単なる向上心や挑戦意欲だけでは説明できないものがある。
第1章:「次のステージ」という言葉の裏側
「成長」「前進」「昇進」。
どれも、一般的には肯定的な意味で使われる言葉である。
成長することは望ましい。前進することは素晴らしい。より大きな責任を担うことは、キャリアの成功を示す。
私たちは、こうした価値観を自然に受け入れている。
しかし、昇進しないことは、成長していないことなのだろうか。
今の役割を続けることは、停滞なのだろうか。
ある企業で、優れた専門性を持つ女性マネジャーのリーダーシップについて、関係者へのインタビューやフィードバックを行う機会があった。
彼女は専門領域で高い能力を発揮し、周囲からもその力を評価されていた。一方で、組織を率いるマネジメントの側面では、今後の課題も見られた。
会社では、彼女を更に上位の役割へ登用する可能性が検討されていた。
そのとき、私の中に一つの問いが浮かんだ。
「そもそも、彼女自身は昇進したいのだろうか」
もちろん、彼女が昇進を望んでいる可能性もある。新しい役割を通じて、自分の可能性を広げたいと考えているかもしれない。
しかし、専門性を磨き続けることに、より大きな喜びを感じている可能性もある。
私が気になったのは、本人の意思を十分に確かめないまま、「次の役割に進むことが本人にとっての成長だ」と考えてしまう危うさだった。
自分自身が同じ立場だったらどうだろう。
会社から、より大きな役割を期待される。
周囲からは「次のステップですね」と祝福される。
期待されることは嬉しい。一方で、今まで大切にしてきた仕事から離れることになるかもしれない。新しい役割が、本当に自分の望むものなのかも分からない。
それでも、「せっかくの機会だから」と自分を納得させることはないだろうか。
企業には、組織として必要な人材を登用する責任がある。一方、本人には、自分の人生やキャリアをどう歩みたいかという思いがある。
その二つが重なることもあれば、ずれることもある。
さらに難しいのは、私たち自身が、周囲の期待をいつの間にか自分の望みとして受け止めてしまうことだ。
期待に応えたい。認められたい。しかし、期待に応えない自分を想像すると、少し残念に感ずる。
「次のステージ」という言葉には、ときに「今の場所に留まっていてはいけない」という暗黙の圧力が潜んでいる。
『自分が目指している「次」は、本当に自分自身が望んでいるものなのだろうか。』
第2章:変わりたい、でも何を変え、何を残すのか
経営者にとって、変化への対応は避けて通れない。
市場が変わる。組織が変わる。求められる役割も変わる。
これまでのやり方に固執せず、新しい環境に適応することは、重要なリーダーシップの一つである。
しかし、人はそんなに簡単に変われるものだろうか。
ある経営幹部との関わりで、今も印象に残っている言葉がある。
「負けたくない」
彼は、強い専門性と自負を持つ人物だった。自分の考えをはっきりと語り、周囲に迎合することを好まない、独特の存在感があった。
勤務する会社が大企業に買収され、経営環境は大きく変わった。これまでとは異なる組織の論理や意思決定の仕組みの中で、新しい立ち位置を模索することになった。
当初、私は彼が新しい組織にうまく適応できるよう支援したいと考えていた。
その後、彼の言動には変化が見られた。
以前のような鋭い物言いは影を潜め、新しい組織の中で、より穏やかに振る舞うようになったように見えた。
それは、彼なりに環境に適応しようとした結果だったのかもしれない。
しかし、私はどこか物足りなさを感じていた。
あの「負けたくない」と語っていた彼の気概は、どこへ行ったのだろう。
彼とのあるセッションで、私は問いかけた。
「買収された側ではありますが、あなたは何を残したいですか?」
その問いを投げかけた後、私は自分自身についても考えることになった。
新しい環境に適応することを支援したいと思っていたはずなのに、実際に彼が変わると、以前の彼らしさを惜しんでいる。
それは彼のための問いだったのか。それとも、私自身が彼に「こうあってほしい」と期待していたからなのか。
考えてみれば、以前より穏やかに振る舞うことが、彼の本質を失うことだとは限らない。
むしろ、新しい環境の中で自分の力を発揮するために、彼自身が選んだ変化だった可能性もある。
彼が本当は何を望み、どのような自分でありたいと考えていたのか。その答えを、私が決めることはできない。
変化をめぐる感情は、複雑だ。
変わりたい。でも、変わりたくない。
周囲に適応したい。一方で、これまで大切にしてきた自分らしさも守りたい。
さらに言えば、周囲から見れば望ましい変化であっても、本人にとっては同じ意味を持つとは限らない。
反対に、周囲からは「変わってしまった」と見える姿が、本人にとっては新しい自分らしさである可能性もある。
「そもそも、変わることを前提にしてよいのだろうか。」
「次のステージ」を考えるとは、必ずしも新しい自分に生まれ変わることではない。
今までの自分の何を大切にしてきたのか。そして、これから何を大切にしたいのか。
その両方を考えることでもあるのだと思う。
第3章:立ち止まるとき、人は何を感じているのか
ここまで、組織から昇進を期待される女性マネジャーと、環境の変化に適応する経営幹部の姿を紹介した。
しかし、「次のステージ」を意識するきっかけは、いつも外から与えられるとは限らない。
今の仕事に満足しているにも関わらず、ふと未知の世界に心が動くこともある。
私自身にも、そんな感覚がある。
長年、企業の中で仕事をしてきた。その後、独立し、エグゼクティブコーチングや経営支援の仕事に携わってきた。
仕事を通じて多くの経営者や経営幹部と出会い、信頼関係を築いてきた。今の仕事には、やりがいも充実感もある。
それでも時折、考える。
「この先も、今の延長線上を歩いていくのだろうか」
周囲には、事業を拡大し、新しい挑戦を続ける経営者たちがいる。その姿に刺激を受ける一方で、自分には同じような拡大への意欲が少ないことにも気付く。
では、今の自分に十分満足しているのか。
そう問われると、それも少し違う。
まだ知らない世界を見てみたい。これまで経験してこなかったことに触れてみたい。
また、自分には他にもやるべきことがあるような気がする、という感覚もある。
しかし、そこに明確な目標や、将来なりたい自分の姿があるわけではない。
最近、私は囲碁を習い始めた。
企業では管理職として、そして独立後はエグゼクティブコーチとして、相応の経験を積んできたつもりだが、囲碁の世界では全くの初心者である。
始めたきっかけや理由は特段ない。何となくやってみたい、と思っただけだ。
そして実際に始めてみると、分からないことばかりで、思うようにいかない。それでも、新しい世界に触れる面白さがある。
一方、囲碁を始めたことが、何か大きな人生の転機になるとは全く思っていない。
ただ、そこで気付いたことがある。
私たちは新しいことを始めようとする時、つい「何の役に立つのか」「どんな成長につながるのか」と考えがちだ。
しかし、何となく面白そうだからやってみる。それだけでは足りないのだろうか。
「次のステージ」とは、今より高い場所へ進むことなのだろうか。
役職が上がる。事業規模が大きくなる。専門性が深まる。
そうした縦方向の変化だけではなく、これまで知らなかった世界へ、横に広がっていくこともあるのではないか。
しかし一方で、今あるものを大切にしたい気持ちもある。クライアントとの信頼関係や、これまでに培ってきた専門性など。
新しいことに時間を使うには、何かを手放す必要があるだろう。しかし、慣れ親しんだ仕事や役割を変えることへの躊躇もある。
満足している。でも、物足りない。
今の自分を肯定したい。でも、まだ知らない自分にも出会ってみたい。
こうした気持ちは、どんなにもがいても簡単に整理できるものではない気がする。
むしろ、相反する気持ちが同時に存在していること自体が、今の自分の正直な姿とも言える。
第4章:揺らぎは、自分に何を語りかけているのか
私たちは、迷いが生まれると、つい答えを探そうとする。
何が問題なのか。原因はどこにあるのか。どちらを選ぶべきなのか。次に何をすればよいのか。
経営者であれば尚更だろう。
日々、意思決定を求められる立場にいる。曖昧な状態を放置せず、方向性を定め、行動につなげることに慣れている。
それは、経営者に必要な力である。
しかし、自分自身の内面についても、同じように結論を急ぐ必要があるのだろうか。
「このままで良いのか」と感じたとき、すぐに新しい目標を設定しなければならないのか。
「変わりたくない」と感じたとき、それを乗り越えるべき抵抗や障害として扱わなければならないのか。
私は、必ずしもそうではないと思う。
ここまで紹介してきた三つの経験を振り返ってみたい。
昇進を期待される女性マネジャー。新しい組織に適応しようとする経営幹部。そして、今の仕事に満足しながらも、まだ知らない世界に惹かれる私自身。
状況は異なるが、いずれも一つの価値観だけでは割り切れないものがある。
私たちは、そのような状態を「迷い」「葛藤」「不安」と呼ぶことがある。
しかしそれを、もう少し違う言葉で捉えてみたい。
「揺らぎ」である。
揺らぎとは、必ずしも自分の軸が失われていることではない。
これまで大切にしてきたものと、新しく惹かれているものが、同時に自分の中に存在している。
あるいは周囲から求められる自分と、自分自身が感じている自分との間に、ずれが生じていることもある。
ここで、もう一つ考えてみたい。
「私たちを揺らしているのは、相反する気持ちだけなのだろうか。」
私たちの揺らぎの奥には、これまで疑うことなく受け入れてきた「当たり前」が潜んでいることがある。
昇進を期待されたら、応えるのが当然だ。
環境が変われば、自分も変わるべきだ。
現状に満足していても、さらに上を目指すべきだ。
こうした考え方は、決して間違っていない。むしろ、それらを信じて努力してきたからこそ、今の自分があるのだろう。
しかし、その「当たり前」は、いつから自分にとって当然になったのだろうか。
誰かから教えられたものだろうか。仕事の経験を通じて身につけたものだろうか。それとも、自分自身で選び取ったものなのだろうか。
普段、私たちはこうしたことを殆ど意識しない。
「成長することはよいことだ」と考えているとき、その前提自体を問い直すことは少ない気がする。
だからこそ、その前提に合わない気持ちが生まれると、私たちは戸惑う。
昇進を喜べない自分は、おかしいのではないか。
変わりたくない自分は、弱いのではないか。
今のままで満足したい自分は、向上心を失ったのではないか。
しかし、もし「成長」「前進」「成功」という物差しを、ほんの少し脇に置いてみたらどうだろう。
同じ自分の姿も、違った角度から眺められるようになる。
もちろん、すべての揺らぎに深い意味があるわけではない。
単に疲れているだけかもしれない。環境の変化に戸惑っているだけかもしれない。また、立ち止まることが、現実の問題から目を背けることになっている場合もあるだろう。
だから、揺らいでいること自体を無条件に肯定したいわけでもない。
ただ、すぐに答えを出そうとする前に、自分の内側で何が起きているのかを眺めてみる。
そして、そこにある気持ちだけでなく、その気持ちを判断している自分自身の物差しにも、目を向けてみる。
今まで問題だと思っていたことが、異なって見えるようになることもあり得る。
あるいは、やはり自分は成長したい、もっと前へ進みたいと、改めて思うかもしれない。
どちらが正しいということではない。
これまで当たり前だったものを、当たり前ではないものとして眺めてみる。
そこに、揺らぎを感じることの、もう一つの意味があるのではないだろうか。
終章:立ち止まる自分と、どう向き合うか
私たちは、これまでの経験を通じて、自分なりの価値観や判断基準を築いてきた。
それらは、経営者として数々の意思決定を重ね、成果を生み出すうえで、大きな力になってきたはずだ。
だからこそ、長年大切にしてきた価値観を疑うことは、簡単ではない。
「もっと成長しなければならない」
「前へ進まなければならない」
そう考えることで、自分を奮い立たせ、数々の困難を乗り越えてきた。
その物差しを一度脇に置くことには、どこか落ち着かないものがある。
何を目指せばよいのか。今の自分をどう評価すればよいのか。
慣れ親しんだ判断基準がなくなると、かえって不安になることもあるだろう。
それでも、すぐに元の物差しを手に取る必要はないのではないか。
今の場所に留まりたい自分。これまでとは違う方向へ進んでみたい自分。まだ何も決められない自分。
そんな自分を、急いで変えようとしなくてもよい。
もちろん、経営者には決断すべきことがある。立ち止まってばかりはいられない現実もある。
しかし、決断を求められる立場にいることと、自分自身の迷いに、すぐ答えを出さなければならないことは、同じではないはずだ。
私自身、これからどこへ向かうのか、まだ明確な答えは持っていない。
今の仕事を大切にしたい。新しい世界にも触れてみたい。その両方が自分の中にある。
そして、今はそのどちらかを選ばなくても良いのではないか、とも感じている。
次に「このままではいけない」と感じたとき、すぐに次の目標を探すのではなく、一度その考えの「前提」に目を向けてみたい。
そこには、これまで気付かなかった自分の姿があるかもしれない。
それを見た後で、改めて前へ進むことを選ぶのもよい。違う方向へ歩き始めるのもよい。
あるいは、まだ決めないという選択もある。
立ち止まっている自分を私たちは、つい「前へ進めない自分」と見てしまう。
「あなたは立ち止まっている自分を、どう見ているだろうか。」
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